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野本館跡
野本館跡
野本館跡は鎌倉時代(1185年から1333年)に活躍した野本氏の館跡です。
野本氏は片田元親の子・基員が、自らの先祖である平安時代の武将・藤原利仁ゆかりの地である野本の地名から姓を取って名乗ったのが始まりとされています
館は現在の野本小学校(下野本)一帯と考えられ、無量寿寺の裏手には土塁の一部が残されています。
また基員の養子・基時は現在の押垂に居住して押垂氏を名乗り、建暦3年(1213年)の和田合戦や承久3年(1221年)の承久の乱における宇治川の戦いなどで戦功があったことが伝わっています。
野本館跡の土塁
所在地
下野本662・663ほか(無量寿寺)
指定年月日
昭和49年(1974年)7月10日(東松山市指定文化財-史跡)