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正法寺の算額
正法寺の算額
江戸時代になると、日本独自に発達した数学である和算の難問を解く遊戯が生まれます。問題が解けたことを神仏に報告・感謝し、ますます勉学に励むことを誓って神社や寺に奉納したものが算額です。
正法寺の観音堂に掲額された算額は、杉山村(現在の比企郡嵐山町)の内田祐五郎往延が、明治11年(1878年)に奉納したものです。上部に二つの図形を記し、それぞれその下に、その図形についての問題と解法を記しています。1問目は、立方体の中に、大球1、中球4、小球4個があり、大球の直径を与えたときに、小球の直径を解いているもので、2問目は、乙円を与えたときに丙円を求めるものです。
内田は江戸時代の終わりの天保14年(1845年)に生まれ、現在の熊谷市の戸根木与右衛門格斎のもとで和算を学んでいます。
正法寺の算額
所在地
岩殿1229(正法寺)
指定年月日
昭和49年(1974年)7月10日(東松山市指定文化財-書籍)